平城宮にペルシャ人が働いていた痕跡を発見! 1251年前の木簡が証明!奈良とペルシャの直線距離は7000km越え!!

産経westのニュースによると平城京の平城宮でペルシャ人の役人とみられる「破斯清通」という名前があったことが5日、奈良文化財研究所の調査で判明したとのこと。

ニュース抜粋

奈良市の平城宮跡で出土した「天平神護元年」(765年)と記された木簡に、ペルシャ人の役人とみられる「破斯清通」という名前があったことが5日、奈良文化財研究所の調査で分かった。「破斯」はペルシャを意味する中国語の「波斯」と同義で、国内の出土品でペルシャ人を示す文字が確認されたのは初めて。外国人が来日した平城宮の国際性を示す史料となりそうだ。

同研究所によると、木簡は1966年、平城宮跡東南隅の発掘で出土した、役人を養成する「大学寮」での宿直勤務に関する記録。当時は文字が薄いため名前の一部が読めなかったが、今年、赤外線撮影したところ、「破斯」の文字を判読できた。 詳細はコチラより

産経westより
産経westより

 

▼ペルシャとは

『ペルシャ』はイランの旧称である。イラン高原南西部の古代地方名パールサ(現在のファールス)に由来している。1935年,国号をイランと改めた。そんなペルシャを漢字で書くと波斯(ハルシャ)」となる。

奈良からイランまでの直線距離は 7391.627 km

今の時代みたいに飛行機で一直線に目的地に迎える訳ではないのでこの何倍の距離を越えてペルシャの方が日本の奈良に来られていた。そう考えるとなんだか胸が暑くなるものが・・・。昔の人ってすごい!

 

▼平城京とは

八世紀初め,奈良盆地北端,現在の奈良市西郊に唐の都長安に範をとって造営された都城。710年元明天皇が藤原京から遷都。784年桓武天皇が長岡京に遷都するまで,天平文化の中心地として繁栄した。東西約4.3キロメートル,南北約4.8キロメートルの方形をなし,中央に南北に朱雀大路を通して右京と左京に分け,また各京内は東西・南北に走る大小の路により整然と条坊に区画されていた。人口は約二〇万と推定される。奈良の京。奈良の都。 出典:大辞林

 

▼平城宮とは

平城宮

平城京の北端に置かれ、天皇の住まいである内裏即ち内廷と、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙の所謂外朝から成り、約120ヘクタールを占めていた。周囲は5メートル程度の大垣が張り巡らされ、朱雀門を始め豪族の姓氏に因んだ12の門が設置され、役人等はそれらの門より出入りした。東端には東院庭園がおかれ、宴等が催された。この東院庭園は今日の日本庭園の原型とされている。 wikiより

 

 

▼まとめ

まさか平城京の時代に日本にペルシャ人がいたなんて思いもしませんでした。
なんともビックリなニュース。やはり考古学はロマンなんだなぁ。

平城京

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